top>一括資料と土器編年(2)
さて、ずいぶんと更新しませんでしたね(汗)。
ここは一発、現実逃避ついでに書いておきますか。
この前の項目では一括資料と土器編年のキホンについて書きました。
その最後に、
>このように、一括資料は、土器編年をする上で大変重要なものとなります。
>ただし、土器編年をする上で一括資料が必ず必要かと言われると、
>そうでない気がします。
などという意味深なコトバを残してしまいましたので、その解題をば。
ちょっと前の文章では、考古学における年代の
モノサシ「土器編年」は2つに分けるべきだと書きました。
ひとつを「イメージ編年」、もうひとつを「実際編年」と仮に呼びます。
この2つは目的が異なるものです。
前者は大きな流れを見るため、後者は小さなことをコツコツと(笑)見るため。
だからドッチがイイという話ではありません。
現在行われている土器編年は、主に「イメージ編年」が行われていますが、
その研究をされている方々が私のいう「実際編年」も同時にやっていると
言われるのであれば、それはかなりスゴ腕の方だと思います。
「イメージ編年」とは、一般的な編年の感覚です。
土器は甕Aから甕Bに変化するとかいったような。
一方で「実際編年」とは、イメージ編年によって行われた形式(型式)設定を
一旦破壊するものです。
大きくみたら、甕Aから甕Bに変化しているが、果たして実際の資料上からみたら、
重なる時期があるのではないか、と疑ってかかります。
なーんやそれ、普通やないか(なぜか大阪弁)と思われるのも当然かもしれません。
じゃあ、たとえば甕Aと甕Bが土器編年で時期差をもつとされている状態で、
あなたは「この(それぞれの甕が出土する)2集落は同時期にあった」と発言できますか。
そんなんじゃあ、今行われている集落研究が成り立たなくなるでしょう。
しかし、実際には弥生土器や須恵器など、このような再検討が必要なものが多くあると思います。
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・・とこのような長い前口上によって、やっと今行われているのが「イメージ編年」で
あることがわかっていただけましたでしょーか。「イメージ」というコトバが
イメージ悪げですが、インパクトがあるので。
さて、上に書いたことからするとなにやら「イメージ編年」がダメダメに聞こえ
ますが、そんなことはありません。すべての基礎になるものです。なぜなら
「実際編年」は「イメージ編年」がなければできないから。
そしてこのように考えると、編年作成時のある悩みもすっと収まります。
そう、「編年には一括資料しか使っちゃイケナイ」パラダイムです。
共時性を保証された資料しか使ってはダメというのは、心の中で実際編年も一緒に
してしまおうという考えがあるからだと思います。
「あくまで編年のイメージだけでいいんだーー。 あはははははーーー」
ってな具合で(嘘)、気軽にしてもらえたらいいと思うのですが。
その意味で、弥生土器に関して言えば1989年から出版されている
『弥生土器の様式と編年』は、「イメージ編年」に徹したという点で、
意義のあることだと思います。もちろん「アソコがあかん(以下自粛)」とか
いろいろあることだと思いますが。。。
あの本の後ろに、その分析指標を明確に示す論文がだーーっと並べば、
とてつもなく有用な本になったことでしょう(今のままでも有用です)が、
それがないために、フィードバックできなくなっているのがひとつの問題でしょうか。
かつて小林行雄は雑誌『考古学』において「様式とは雰囲気で決めるものだ」
とかなんとか(忘りた)おっしゃってましたが、「イメージ編年」は直感できめるものだ、
と私は思います(ここまで言うと嘘だな)。