top>Archa的考古学。>土器作りのハビトゥス。
今回は、前のページで取り上げたハビトゥスという概念を、
考古学に引き寄せて考えましょう。
では、ハビトゥスと土器の関係を考えましょう。
土器とは、原則的に"器"を指しています。
つまりなんらかの"入れ物"ってことですね。
そして土器は、その用途に応じていろいろなカタチをしています。
また縄文土器や弥生土器を見た時、多くの場合(例外はありますが)目を引くのが文様でしょうね。
ふつう目を引くのは、このようにカタチと文様と言えるでしょう。
でも土器の研究は、これだけでされているのではないのです。実は様々な要素があります。
ここでちょっと土器の一生を考えてみましょうね(^^)。
↓
↓
↓
↓
↓
以上の一生を考えてみて、土器を研究する時に、どんなコトを
考えておかなければならないのかを見てみましょう。
つまりは、土器一個を見る時に、どんな要素を考えておくべきか、ということです。
まず、胎土(粘土・混和材)ですね。そして成形・調整法。
この2つは非常に重要で、特に胎土研究は、成形・調整法の技法論と組みあわさって、
これからさらに研究が深化されるであろう分野です。
そして文様。これはある意味成形・調整法に似ています。
でも縄文土器では重要な概念なので、別にしておきますね。
次、焼成法。案外見落とされますが、使える時には、絶大な威力を発揮すると思います。
そして使用・廃棄の性格。まぁこれは結構難しいですねぇ。
このような、複雑な過程(プロセス)を経て、土器は作られています(これでもカナリ単純化されています)。
ここで、ちょっと考えてみましょう。あなたが興味ある時代の(笑)土器を思い浮かべてください。
ある遺跡で出土した土器の形式・型式・様式(セット)と、
他の遺跡で出土した土器の形式・型式・様式(セット)が似ているということはありませんか?
または、
ある遺跡で土器型式が変化する内容の傾向と、
他の遺跡で土器型式が変化する内容の傾向が、似ていることってありませんか?
これはどうしてなんでしょう。
「そんなんあたりまえだっっ!」という人もいるでしょう。
もしくは、「・・・・・さぁ?」というだけの人もいるかもしれません。
もしくは「頻繁に土器交流をしてるから」とか、「婚姻圏だから」とか
言う人もいることでしょう。
じゃあ、今の私たちは、なぜ共通の言語を話しているのでしょうか?
あたりまえですか?それとも、土器交流をしてるからですか?それとも婚姻圏だからですか?(爆)
私たちの共通の言語は、
これまでの歴史によって持続的に生産されてきた、社会の共通の知識
であると言えるでしょう。そしてそれは、我々が具体的に考えることができるより
もっと複雑な形で共有されているようです
(われわれが、なぜお隣の韓国と異なる言語を話すのか、という問題も含めて)。
(言葉を暴力的に使っているので誤解はあるかもしれませんが)
これを、ブルデューさんは、ハビトゥスと呼んでいるのです。
まぁ、今回は難しい言葉は置いといて(爆)、以上のことから、「似た土器を作る傾向」自体は、
大きなスケールでみると、かなり広い範囲で共有されていることが分かります。
そして縄文土器の研究では、その中で文様に関する部分を特化して、
「シンボル」という言葉を用いていますよね。
(みなさんはシンボルという語に、イカガワシイ感覚をもってしまうと思いますが、
ちゃんと考えて使うときは、非常に面白い概念です。)
その中で、土器型式が変化するとは、どういうことでしょうか・・・・。
いっちばんはじめの項目で実は書いていますが、一般的には世代による変化と考えられています。
つまり、土器を作る人がおばあちゃんから娘の世代に代わっても、周りの集落と、
土器の作り方は似ているということになります。
いいかえれば、土器の作り方は、継続的に社会間で共有されている
さらに言い換えれば(笑)、「土器つくり」はハビトゥス的要素をもつ
ということですね。
もうすこし厳密には、「土器の作り方という共有概念を生み出す心的傾向」としておきましょう。
ここまでの議論は実はごく簡単で、ダレでも思いつくのですが、ここからが実は難しいのです。
これからの問題は私が思うに、
ハビトゥスという概念を、どのレベルまで上げることができるかという問題です。
「似たような土器を作る」という共有意識で留めておくべき概念なのか、それとも
もっと厳密(なレベルまで上げること)にできるのか、ということです。
今回は、ここまで。っていうか、これから論を進めると、
私としては細かい話になってしまうので(謎)、続きは書きません(爆)。